2023年10月29日 (日) | 編集 |
ウチの学校、年末調整が今年からWeb上で扱われるようになったそうで、その手続きを自分でやらねばならないので学校へ行ってきた(自宅のPCからではそのWebサイトにログインできないため)。
なるべく誰にも会いたくないので、日曜の早朝を選び、研究室へまっしぐら。
別にこそこそする筋合いはないのだけど、誰かと会うのは単純に緊張するし、復職の目途も立っていないのに何を会話したらいいのか…とか考えると、ゲンナリしてしまうから。
良かった、誰にも会わなくて済んだ。
さっそく自分のPCを2ヶ月ぶりに開けて、Webサイトにつなげ、持参した書類たちを見ながら入力していく。
事務室から「手続きの手引き」のようなものもいただいてはいるのだが、実際にやってみての疑問や質問を誰にも訊けないのはキツイ。おそらくこうだろう、きっとこうだろう、と自分なりの解釈を交えつつ入力手続きを終えた。
完成したモノをプリントアウトし、返送用封筒に入れて手紙を添えた。事務室から、11月分の休職願とともに提出するように送付されてきたものだ。
手紙には、「こういう解釈で算出した数字を入力しました。間違っていたら、ご訂正願います」という内容を記述。おそらく、本校における元締めの事務室なら、全員のデータを入手することができるだろうから。
年末調整の作業を終えて、研究室の掲示物を整える作業に移る。研究室用に来年のカレンダーを買ったので、そこに行事予定を記入していく。
書きながら、自分はこのカレンダーの時期にここにいるんだろうか?…などと考えて、ちょっと沈んだ気持ちになる。
廊下から、物音がした。どうやら近くの研究室に、出勤してきた先生がいるようだ。
急にドキドキする。ウチの研究室に訪ねてきたらどうしよう…。
居心地の悪い、落ち着かない気分になってきたので、カレンダー記入をそそくさと終わらせて、学校をあとにした。
…やはり、職場の誰かと会うというのは、まだハードルが高いんだな。
2ヶ月ぶりの学校だったが、自分一人で作業をしている分には結構普通にできた(と思う)。
でも「誰か」の存在を感じると、にわかに緊張が走る。
1時間半ほどの滞在で、なんだかとても疲労してしまった。
復職、難しいな。
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なるべく誰にも会いたくないので、日曜の早朝を選び、研究室へまっしぐら。
別にこそこそする筋合いはないのだけど、誰かと会うのは単純に緊張するし、復職の目途も立っていないのに何を会話したらいいのか…とか考えると、ゲンナリしてしまうから。
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完成したモノをプリントアウトし、返送用封筒に入れて手紙を添えた。事務室から、11月分の休職願とともに提出するように送付されてきたものだ。
手紙には、「こういう解釈で算出した数字を入力しました。間違っていたら、ご訂正願います」という内容を記述。おそらく、本校における元締めの事務室なら、全員のデータを入手することができるだろうから。
年末調整の作業を終えて、研究室の掲示物を整える作業に移る。研究室用に来年のカレンダーを買ったので、そこに行事予定を記入していく。
書きながら、自分はこのカレンダーの時期にここにいるんだろうか?…などと考えて、ちょっと沈んだ気持ちになる。
廊下から、物音がした。どうやら近くの研究室に、出勤してきた先生がいるようだ。
急にドキドキする。ウチの研究室に訪ねてきたらどうしよう…。
居心地の悪い、落ち着かない気分になってきたので、カレンダー記入をそそくさと終わらせて、学校をあとにした。
…やはり、職場の誰かと会うというのは、まだハードルが高いんだな。
2ヶ月ぶりの学校だったが、自分一人で作業をしている分には結構普通にできた(と思う)。
でも「誰か」の存在を感じると、にわかに緊張が走る。
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2023年10月22日 (日) | 編集 |
食器を洗っていると、思い出したくもない思い出が必ず頭をよぎる。
小学生のころだったか、まだ幼稚園児だったか…。
シンクに食器がたまっているのに気がついた私は、初めての食器洗いを試みた。
スポンジに洗剤をつけて、にぎって泡をもこもこにして、食器を洗って…。
教わったわけでもないので、記憶をたよりの作業である。
洗い桶の食器をすべて洗い終えて、水切り籠に入れ、私は得意満面だった。
きっとお母さんはびっくりして、笑顔になるだろう。
仕事で疲れたお母さんはいつも食器洗いを嫌がっていたから、きっと喜んでくれるだろう。
お母さんの役に立てた、と私はわくわくして母を待った。
仕事を終えてキッチンに来た母は、私と水切り籠の食器を見てこう言った。
「泡がなくなればいいと思ってるでしょう? 全然ヨゴレが落ちてないじゃない」
…ショックだった。
笑顔どころか、顔を曇らせた母はため息をついて、「いいわよ、あとはやっとくから」と、水切り籠の食器を全てシンクに戻して洗い直しを始めた。
「ごめんなさい…」
役に立つどころか、迷惑をかけてしまった。余計なことをしてしまった。
罪悪感でいっぱいになった。
…確かに、私は泡がなくなればそれで完了だと思っていたような気がする。
でも、あのときの母の対応は絶対間違っている、と今なら思える。
なぜ「やってくれたの? ありがとう!」と言えない?
その後だろう、「でも、ヨゴレが落ちてないか確認しようね」と言うのは。
「じゃあ一緒に洗ってみようね」と続けばパーフェクトだ。
まったく愛のない対応だったなー、あの頃から。
相当ショックだったのか、未だに食器を洗っていると「泡がなくなればいいと思ってるでしょう?」とどこかから言われている気になる。
そして洗い流す時、執拗にヨゴレが残っていないか確認してしまうのだ。
----------
もう一つ、これは20代後半、もう実家を離れて教員になっていたころ。
姉と姪と母が同居していた家に遊びに行って、夕食を私が作った。
サンマのみぞれ煮。サンマを三枚におろして、片栗粉をつけて揚げ焼きし、大根おろしを入れた煮汁でさっと煮る。
当時どこかで食べて気に入っていた料理だった。
母は青魚が苦手だった。それを知っていたから、「かーさんは食べなくていいよー」と私はあらかじめ言っていた。他にも数品作っていたし。
しかし母は「いや、せっかくだから食べる!」と妙に気合いを入れて一口食べ、私の目の前で吐いた。
…吐くくらいなら、食べなければいいのに。
せめて、私に見えないところ、トイレとかで吐いてくれればいいのに。
娘が作ったから苦手でも食べる、という「よい母」パフォーマンスをしたかったんだろうか。
これも、かなりショッキングな出来事だった。
それ以来、サンマを調理することにちょっとした抵抗感をもつようになってしまった。
----------
サンマで思い出したこと。
親友と同居していたとき、彼女がまな板も使わずに、サンマのお腹を包丁の角を使ってすーっと切り、はらわたを出して調理しているのを感心して見ていた記憶がある。
味噌漬けにすると保存がきくということも教わって、いちいち感心していた。
あと、白菜と豚肉だけでちゃちゃっと餃子を作るのにも感心したし、ちくわの磯辺揚げなどの揚げ物もいとわず作るのに感心した。
日常的にサンマを調理していた家なんだなー、手作り餃子が普通の家だったんだなー、揚げ物を面倒がらない家なんだなー、と思って感動した。
そういうことを、当たり前に親がやってくれていると、子どももそれが当たり前になる。
青魚は魚屋さんにさばいてもらって、サンマは塩焼きオンリーだった。
餃子はスーパーの冷食か、もしくは外食時に食べるもの。
揚げ物はお肉屋さんで買うもので、家で揚げるのはクリスマスか誕生日などの特別な時だけ。
外食が多く、「たまには家でお母さんの料理を食べたいなー」と思っていた記憶もある。
ウチはそういう家だった。
----------
大学時代アルバイトで家庭教師をやっていたお宅で、夕食をごちそうになるのが毎回楽しみだった。
そのお宅のお母さんは保育園の調理師をしていて、料理好きで手間をいとわない人だった。
手作りのドレッシングなんて、あのお宅で初めて食べた。野菜スティックにつけて食べるのが好きだった。
牛すじを煮込んだカレーとか、手作りのおやつとか、きちんと淹れたお茶とか…。全部美味しかった。
「うわー、なんですかこれ、美味しい!」と言うと、嬉しそうに教えてくれた。
にこにこしながら私が食べるのをながめ、「美味しい? 良かったー」というお母さん。
そのお宅には、娘さんが中1~3年の3年間、週3回くらい通った。
今にして思えば、自分の家では味わえない幸福な食卓で、幸福な時間だった。
----------
ウチの母の思い出を書いていたときは殺伐とした気持ちだったが、親友の話と家庭教師先の話を書いていくうちに心が穏やかで温かくなった。
食は愛だ。口内で味わうだけじゃない、心で味わってる。
今の私が食に興味をもち料理にはまっているのは、愛されなかった心を満たすためなのかもしれない。
また、自分の愛を表へ表現したいのかもしれない。
…なんてことを、考えた今日の日。
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小学生のころだったか、まだ幼稚園児だったか…。
シンクに食器がたまっているのに気がついた私は、初めての食器洗いを試みた。
スポンジに洗剤をつけて、にぎって泡をもこもこにして、食器を洗って…。
教わったわけでもないので、記憶をたよりの作業である。
洗い桶の食器をすべて洗い終えて、水切り籠に入れ、私は得意満面だった。
きっとお母さんはびっくりして、笑顔になるだろう。
仕事で疲れたお母さんはいつも食器洗いを嫌がっていたから、きっと喜んでくれるだろう。
お母さんの役に立てた、と私はわくわくして母を待った。
仕事を終えてキッチンに来た母は、私と水切り籠の食器を見てこう言った。
「泡がなくなればいいと思ってるでしょう? 全然ヨゴレが落ちてないじゃない」
…ショックだった。
笑顔どころか、顔を曇らせた母はため息をついて、「いいわよ、あとはやっとくから」と、水切り籠の食器を全てシンクに戻して洗い直しを始めた。
「ごめんなさい…」
役に立つどころか、迷惑をかけてしまった。余計なことをしてしまった。
罪悪感でいっぱいになった。
…確かに、私は泡がなくなればそれで完了だと思っていたような気がする。
でも、あのときの母の対応は絶対間違っている、と今なら思える。
なぜ「やってくれたの? ありがとう!」と言えない?
その後だろう、「でも、ヨゴレが落ちてないか確認しようね」と言うのは。
「じゃあ一緒に洗ってみようね」と続けばパーフェクトだ。
まったく愛のない対応だったなー、あの頃から。
相当ショックだったのか、未だに食器を洗っていると「泡がなくなればいいと思ってるでしょう?」とどこかから言われている気になる。
そして洗い流す時、執拗にヨゴレが残っていないか確認してしまうのだ。
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もう一つ、これは20代後半、もう実家を離れて教員になっていたころ。
姉と姪と母が同居していた家に遊びに行って、夕食を私が作った。
サンマのみぞれ煮。サンマを三枚におろして、片栗粉をつけて揚げ焼きし、大根おろしを入れた煮汁でさっと煮る。
当時どこかで食べて気に入っていた料理だった。
母は青魚が苦手だった。それを知っていたから、「かーさんは食べなくていいよー」と私はあらかじめ言っていた。他にも数品作っていたし。
しかし母は「いや、せっかくだから食べる!」と妙に気合いを入れて一口食べ、私の目の前で吐いた。
…吐くくらいなら、食べなければいいのに。
せめて、私に見えないところ、トイレとかで吐いてくれればいいのに。
娘が作ったから苦手でも食べる、という「よい母」パフォーマンスをしたかったんだろうか。
これも、かなりショッキングな出来事だった。
それ以来、サンマを調理することにちょっとした抵抗感をもつようになってしまった。
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サンマで思い出したこと。
親友と同居していたとき、彼女がまな板も使わずに、サンマのお腹を包丁の角を使ってすーっと切り、はらわたを出して調理しているのを感心して見ていた記憶がある。
味噌漬けにすると保存がきくということも教わって、いちいち感心していた。
あと、白菜と豚肉だけでちゃちゃっと餃子を作るのにも感心したし、ちくわの磯辺揚げなどの揚げ物もいとわず作るのに感心した。
日常的にサンマを調理していた家なんだなー、手作り餃子が普通の家だったんだなー、揚げ物を面倒がらない家なんだなー、と思って感動した。
そういうことを、当たり前に親がやってくれていると、子どももそれが当たり前になる。
青魚は魚屋さんにさばいてもらって、サンマは塩焼きオンリーだった。
餃子はスーパーの冷食か、もしくは外食時に食べるもの。
揚げ物はお肉屋さんで買うもので、家で揚げるのはクリスマスか誕生日などの特別な時だけ。
外食が多く、「たまには家でお母さんの料理を食べたいなー」と思っていた記憶もある。
ウチはそういう家だった。
----------
大学時代アルバイトで家庭教師をやっていたお宅で、夕食をごちそうになるのが毎回楽しみだった。
そのお宅のお母さんは保育園の調理師をしていて、料理好きで手間をいとわない人だった。
手作りのドレッシングなんて、あのお宅で初めて食べた。野菜スティックにつけて食べるのが好きだった。
牛すじを煮込んだカレーとか、手作りのおやつとか、きちんと淹れたお茶とか…。全部美味しかった。
「うわー、なんですかこれ、美味しい!」と言うと、嬉しそうに教えてくれた。
にこにこしながら私が食べるのをながめ、「美味しい? 良かったー」というお母さん。
そのお宅には、娘さんが中1~3年の3年間、週3回くらい通った。
今にして思えば、自分の家では味わえない幸福な食卓で、幸福な時間だった。
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2023年09月27日 (水) | 編集 |
なんか脳みそが不調です。
起きているとロクなことを考えないので、一日中寝ていたいです。
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2023年09月06日 (水) | 編集 |
「君たちはどう生きるか」を観て、その後、なぜだか「すでに旅立っていった人たち」のことばかり頭に浮かんでいる。
父、友達、先生方、猫たち…。
みんな、元気かなー。あっちで何やってんのかなー。
もうこっちでは会えないって知ってるよ。
でも、いつか、またね。
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2023年08月17日 (木) | 編集 |
昨晩から感情が暴走して、辛くて苦しくて、泣きまくって、胃が重くて、なんも食べられなくて、そのくせ深夜に一口パンを食べたら今度は止まらなくて何個も食べて、胃がもたれて、目がさえて、眠れなくて、苦しくて、泣いて、頭が痛くて、へとへとに疲れて、ようやく寝て。
2時間ほどの睡眠で、今朝起きて、また泣けて、感情の暴走で親友を怒らせてしまって、彼女に嫌われたんじゃないか、今度こそ見捨てられるんじゃないかと思うと怖くて、胃が縮む感じで、頭をかきむしって、苦しくて、動けなくなって、とにかく楽になりたくて。
病院に行かなくちゃ、前回以降の報告と今のこの状態を先生に伝えなくちゃ、と思ったけどちゃんと話せる自信がなくて、文章に書き起こして印刷して持って行った。
今日の脳みそ病院は空いていた。1時間くらい待って、呼ばれた。
案の定、どもって言葉が出てこなかった。印刷した文章を渡して、読んでもらった。
「不安が強く出ているんだね、リハビリは一旦中止しましょう。夏休みだから丁度いいかと思って、先走りしちゃったからね。それで、仕切り直し。引き続き、3ヶ月の自宅療養の診断書を出します。今回は薬はそのまま、また2週間後に状態をみて考えましょう」
自分ではぐるぐるして何も分からないし決められなかったことを、サクサクと決めてくれた。
親友の言うように、本当は自分で決めなきゃいけないんだけど、決められずにいて苦しかったからすごくホッとした。
感情の暴風雨から、一気に心が「凪」になった。
情けないし、不甲斐ないし、申し訳ないのは変わらないけど、ぐるぐる暴走して止まらなかった思考がピタッと止まって「無」の状態になっている。苦しさがだいぶ落ち着いた。
ライブ行ったり、旅に出たり、パン作ったり、友達と飲みに行ったりしてるくせに休職かよ?って自分自身でツッコんでしまう。
矛盾してる気がするけど、でもそうなんだ。学校に行って働くのは無理なんだ。
「復職したいのかしたくないのか、自分でも分からない」と言ったら、先生は「復職はしたいんだと思いますけどね」と言ってくれた。
それを信じてみようかと思う。…自分で考えて自分で決めろよ、って話だけど。それが正論だけど。
11月30日まで、休職期間延長です。
心がシンドイ時は、米津さんの曲が染みる。
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病院に行かなくちゃ、前回以降の報告と今のこの状態を先生に伝えなくちゃ、と思ったけどちゃんと話せる自信がなくて、文章に書き起こして印刷して持って行った。
今日の脳みそ病院は空いていた。1時間くらい待って、呼ばれた。
案の定、どもって言葉が出てこなかった。印刷した文章を渡して、読んでもらった。
「不安が強く出ているんだね、リハビリは一旦中止しましょう。夏休みだから丁度いいかと思って、先走りしちゃったからね。それで、仕切り直し。引き続き、3ヶ月の自宅療養の診断書を出します。今回は薬はそのまま、また2週間後に状態をみて考えましょう」
自分ではぐるぐるして何も分からないし決められなかったことを、サクサクと決めてくれた。
親友の言うように、本当は自分で決めなきゃいけないんだけど、決められずにいて苦しかったからすごくホッとした。
感情の暴風雨から、一気に心が「凪」になった。
情けないし、不甲斐ないし、申し訳ないのは変わらないけど、ぐるぐる暴走して止まらなかった思考がピタッと止まって「無」の状態になっている。苦しさがだいぶ落ち着いた。
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矛盾してる気がするけど、でもそうなんだ。学校に行って働くのは無理なんだ。
「復職したいのかしたくないのか、自分でも分からない」と言ったら、先生は「復職はしたいんだと思いますけどね」と言ってくれた。
それを信じてみようかと思う。…自分で考えて自分で決めろよ、って話だけど。それが正論だけど。
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