FC2ブログ
いつの間にやら毎日更新。着物と猫と料理と映画&芝居&ライブ・ときどき旅をメインに、日々の記録を積み重ねています。
2007-05-22 (火) | Edit |
7862b2cd.jpg今日、先輩教員の作成した古文の問題を拝見した。
面白い!なんて面白くかつ良質な問題なんだ!
古事記と万葉集だけで、こんな問題が作れるなんて!…と興奮。
「まあねー、あとから問題作る人の参考になればなと思って」とサラリと言ってのける先輩。…やっぱり彼はすごい。生徒にだけじゃなく、後輩教員への道標として作問をしているということか。うーん、私にはなかった視点だ。それを当たり前のようにやっている姿に感動した。

似たようなことを感じたのが、今日の学年集会。
「中学校ではそれぞれ専門の先生が授業をしているよね…それが小学校との違い」と、私とほぼ同期の学年主任が生徒に向かって話していた。それを聞きながら、彼は我々教員に対しても話をしているのだな、と感じた。つまり『だから教員はその教科の専門家にならないといけないんだよ』ということ。そうかー、学年主任ってのはこういう立場なんだな~、生徒と学年団教員と両方を見なくちゃいけないんだな、と思った次第。彼もわずか1ヶ月半で着実に「学年主任」になっている。

そして放課後、隣席の同僚としゃべったこと。
「教師たるもの専門家たれ」ということについて、彼は「でもね、必ずしも教科の専門家でなくたっていいと思うんです。例えば旅の専門家とか、部活の専門家とか、生き方の専門家とか」と述べた。ほー!なるほど。そういう視点もあるか。「もちろん自己研鑽をしないことの逃げ道に使っちゃいけないですけど」うん、それはそうだね。
また、「教師は謙虚でなければいけない」という発言も。ふむふむ。それは確かにそうだ。というか教師である以前に、人間謙虚でないといかんです。だけど、ある部分においてゆずれない一線は持っていないとイケナイとも思う。謙虚でありつつ、自信をもつ。それが教師として&ヒトとして必要なことなんじゃないかと。

私はずーーーーっと、自分に自信のない人生を送ってきた。他人から長所をあげられても「そんなはずはない」「私にいいところなんてあるはずがない」と頑なに思って生きてきた。他者評価を受け容れなかった。
けどそれは、「謙虚」ではなく「傲慢」だ。「自分に自信がない」という逃げ道を常に用意して、自分が傷つかないようにしていただけだ。
今、私は「傲慢」でなく「謙虚」に「自信」をもとうと思う。
たとえば教師としての自分は、『生徒に興味をもたせる』という一点だけはゆずらない。知識や技術はまだ他人に遠く及ばないところがあるけど(=謙虚)、そのための努力は惜しまない(=自信)。
そして、できれば「生き方の専門家」に、いずれなることができれば素敵だと思った。

いやー、私の周りのオトコ達は私にとてもいい刺激を与えてくれる、とっても素敵なオトコ達です。彼らに、日々感謝!です。

画像は(本文とは全く関係ない)バスマット好きの咲夜さん。