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いつの間にやら毎日更新。着物と猫と料理と映画&芝居&ライブ・ときどき旅をメインに、日々の記録を積み重ねています。
回想
2010年01月26日 (火) | 編集 |
祖父がまだ生きていた頃、
数ヶ月間か祖父母と同居したことがあった。
同居といっても、祖父母は離れに住んでいたので、
あまり顔を合わせることもなかった。
祖父は体の自由がきかず、口もきけない状態だった。

祖母は祖父の食事を作りに、我が家の台所を借りにきていた。
食事は毎日、そばを汁気がなくなるまで煮込んだものだった。
母はそれを見るにつけ、「あんな得体のしれないものを食べさせられて、おじいちゃんが可哀想」と言っていた。
…でも、本当に可哀想だったのかな。
口のきけない祖父が、なんらかのサインを祖母に送っていて、
それで祖母は毎日作り続けていたのかも知れない。
夫婦にしか分からない何かが、二人の間にあったのかも知れない。

祖父は一日中テレビをながめていて、テレビガイドを愛読していた。
私は週に1回祖父のお使いで、テレビガイドを買いに行っていた。
祖父は必ず、きっちり四つに折り畳まれた千円札を渡し、おつりは決して受け取ろうとしなかった。
私は次第にこのお使いが苦痛になっていた。
普段顔を合わさない祖父から、毎週(実質的に)お小遣いをもらうのが、後ろめたかった。
おつりにつられてお使いをしているようで、祖父をうらめしくさえ思った。
…でも、本当はどうだったのかな。
買ってきたテレビガイドを渡すと、祖父は嬉しそうに笑っていた。
おつりを返そうとすると、いつも笑顔で首をふった。
週に1回でも孫と交流をもつことが、嬉しかったのかも知れない。

体の不自由な祖父を、入浴させるのも大事(おおごと)だった。
祖父の入浴の日は、真っ昼間から祖父のためだけにお風呂を沸かす。
いつもなら仕事疲れをとるために午後の診療まで昼寝をする父が、
昼食もそこそこに離れから祖父をおんぶして、2階の風呂場まで連れてくる。
服を脱がせ、湯船につからせ、体を洗い、頭を洗い、
体を拭き、服を着せ、爪を切り、離れまでおんぶして連れて行く。
すべて父が一人でやっていた。
フルコース終える頃には、午後の診療が始まる時間になる。
父は休憩もとらずに、診療室に向かう。
父の休み時間を祖父が奪っているようで、私は祖父の入浴が嫌いだった。
…でも、今思い出した。
赤ん坊のように世話を必要とする祖父に、ひっきりなしに話しかけながら楽しそうに世話をしていたのは父だった。
あの時間は、父にとって幸せな楽しい時間だったのではないか。
祖父よりも、父にとって必要な時間だったのではないか。

父の最期の夜。
仰向けに寝ている父の口中は血で溢れて、のどにそれが固まった。
何も話せなくなった父が、不快そうな顔をすると、
兄が「親父、今とってやるからな」と、柄の長い綿棒で血の塊を慎重に取りだしていた。
真っ赤なゼリーのような塊が取れると、父は目だけで微笑んだ。
兄は何度も何度も、血の塊を取っていた。一晩中。
あれは、死の間際のコミュニケーションだったのではないか。
父にとって、兄にとって、幸せな時間だったのではないか…。

祖父が死んだ1年後に、父が死んだ。
彼らが旅立ってもう10年以上経つというのに、
ずっと忘れていた記憶がついさっき蘇った。
当時は分からなかった想いが、分かったような気がした。
祖父も、父も、兄も、幸せだったように思えた。