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いつの間にやら毎日更新。着物と猫と料理と映画&芝居&ライブ・ときどき旅をメインに、日々の記録を積み重ねています。
自己肯定感
2012年03月05日 (月) | 編集 |
ほぼ日刊イトイ新聞「今日のダーリン」より

・なんども、ここで「自己肯定感」ということについて、
 言ってきている。
 気になってしょうがないことばなのだ。

 ちょっと耳にしたり目にしたりすると、
 「じぶんのことばかり、いいと思ってる」そういう感じ?
 なんて思えるかもしれない。
 うん。そういうことでもあるのかな。そうかもしれない。
 でも、それだけで言い切れないとわかるのは、
 逆のイメージを想像してみたときだ。
 
 逆は、「自己否定感」あるいは「自己肯定感がない」。
 これについて、「謙虚でいいじゃないか」と思うかな?
 もうちょっと想像してみたら、どうだろう。
 「じぶんは肯定されてない」と感じながら生きてること。
 そんなふうな意味になると思う。
 これは、とてもきついことだろう。
 「いないほうがいいのかもしれない」という思いと共に、
 日々を過ごすということは、人のいのちを削っていく。
 人どころか、犬やら猫やらだって同じだ。
 「いないほうがいい」と思われながら、
 飼われていたり、捨てられたりしているものもいる。
  
 「じぶんはいてもいい(に決まってる)」と、
 思って生きていられることと、
 そう思えずに生きていることとの間には、
 とんでもなく大きなちがいがあると、ぼくは思う。
 ほめられたりかわいがられたりしながら育つ子どもと、
 貶されたり馬鹿にされたりしながら育つ子どもとでは、
 たぶん「自己肯定感」に、ちがいができるだろう。
 おそらく、おとなになってからでも、そういうことだ。
 
 「自己肯定感」ということばを、
 意識しながらいろんなことを考えている。
 それを失っていそうな人を見たとき、
 それを感じられないじぶんを発見したとき、
 他人のそれが否定されている場面に出合ったとき、
 これはいけない、と気づくようにしている。

 自己肯定感って、「わがまま」のことじゃないよ。
 昼寝している犬の寝顔みたいなものだと思うんだ。

-----------------------以上、引用。

「自己肯定感」って、けっこう私にとってキーワードだったりする。
特にうつ病の最中には、この言葉に苦しめられた。
まさに、私は「自己否定感」の塊だったから。自己を肯定することなんて、全くできなかったから。

寛解した今の私は、時々当時の思考をたどってみる。
自己否定ばかりしていた頃の私も自分の中にはあるから、その頃の思考も思い出すことができるし、その時の感覚も蘇らせることはできる。
自分は劣悪で、最低で、無価値で、非力で、存在するのが迷惑な人間だ。
12年間そう思っていた。その感覚は実感として思い出せる。
でもねぇ、…と今の私は思うのだ。
でもねぇ、世の中そんな捨てたもんじゃないよ。
周りの人たちは、意外と敵じゃないよ。
けっこう私って、イケてるよ。
不思議と私って、愛されてるよ。
…たぶん、これが「自己肯定感」なのだと思う。
自分が存在していていいんだ、という実感。

私は今、日だまりの中の猫くらいにはなれたのかもしれない。
それがたまらなく嬉しくて有り難い。
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