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いつの間にやら毎日更新。着物と猫と料理と映画&芝居&ライブ・ときどき旅をメインに、日々の記録を積み重ねています。
砂漠のバラと教育
2012年09月12日 (水) | 編集 |
今日のダーリン 2012/09/12

・日本のあちこちで、「砂漠のバラ」が育ってます。
 ぼくも、そのうちのひとりなのです。
 まぁまぁうまく行ってるとは思いますが、
 もひとつ自信が持てないままでいます。
 やることは少ない、お日さまに当てることと、
 水やりだけだと思うのですが、
 すでに近くに失敗した人などもいて、
 なかなか安心はできません。
 
 水やりについて、
 先生の西畠清順さんから教わっていることは、
 「砂漠のバラというくらいですから、
  あんまり水はやらなくていいです。
  渇いたなと思ったら、たっぷりあげてください」
 ということだけです。
 つまり、水をやり忘れて枯らしてしまうことはない?
 そんなふうにも受取れることばです。
 なんだ、不精ものでも育てられるじゃないか‥‥とね。

 しかし、じぶんはそれほどの不精ものではない。
 だから、毎日ちょこちょこと水をやるくらいは簡単です。
 とばかりに、定期的に水をやることにもなりそうです。
 「定期的」っていうのは、めんどくさそうで簡単です。
 なんにも思わず、考えず、見ず、感じずに、
 規則的、機械的に水をやっていればいいのですから。
 それどころか、こうしていれば、自己満足的に、
 「ちょっと多めに世話している」とさえ思っていられる。
 水をやらなくて枯らしてしまうことだけはなさそうだ。
 そうやって、水をやりすぎて「根ぐされ」させて
 枯れさせてしまったケースが、もう、ありました。
 
 「渇いたなと思ったら」という部分こそが大事でした。
 これは、機械的にも定期的にもできないわけで、
 植物のようすを見て、渇きを感じていることが必要です。
 置き場所や、季節や天気の具合で渇きは異なりますから、
 植物や鉢の土に、問いかけないとわかりません。
 そして、たっぷりと水をやるだけ。
 目をかける、手をかけるということは、
 「訊いて」「感じて」やることだったんですよね。
 回数や量を多めにすればいいなんて、いかにもバカです。
 「過保護」とは、機械的な無責任の別名なんですねー。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
どんなことでも、「少なめに、しっかりと」が最上の上だ。
               (以上、「ほぼ日刊イトイ新聞」より)
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昨日書いた「魚と教育」に通ずるものがある気がして。
非常にタイムリー、かつ、たいへん共感。
本当にね、目をかける・手をかけるということと「過保護」とは別物だと思います。
「『過保護』とは、機械的な無責任の別名なんですねー。」は、けだし名言。
日頃から、訊いて、感じて、
乾いたなと思ったら、たっぷり水をやる。
少なめに、しっかりと。
…心にとめておこうと思いました。
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コメント
この記事へのコメント
ああ、とても共感。
「過保護」って、する側は、わかるように説明したり方向だけ指示してできるのを待ったり。。。ってな成長を促す用法が面倒くさくてできない人がやりがちだと思います。しつけも、教育も。
イトイさん、すごいね。
2012/09/13(木) 01:09:34 | URL | たま #-[ 編集]
過ぎたるは・・・
幼稚園の理事長先生が、園芸が玄人はだしの方で、園芸サークル(現名称はガーデニングサークルw)を指導して下さっていたのですが、その際に草木になぞらえて育児の注意点も教えて下さいました。
剪定の話や間引きの話等、色々あったのですが、「水をやらないで枯らしてしまうのは勿論いけないが、それより水と肥料のやり過ぎでの値腐れの方が心配」と。「子どもに対してだけではなく、他の家族でも、仕事でも、友達関係でも同じ」と続きました。
私は体力不足も手伝い、何事も満足いくまでやり切れないことに負い目があったのですが、目から鱗でした。

確かにどんなことでも、自己満足は下手すると迷惑になるんですよね。やり過ぎよりは、まだ足りないくらいの方がマシと。何事も、ほどよい距離感が大事なんですね。
まさに「過ぎたるは及ばざるが如し」。ことわざって正しい。心しておきたいと思います。
2012/09/14(金) 11:07:08 | URL | はんな #2sQQXnjA[ 編集]
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