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いつの間にやら毎日更新。着物と猫と料理と映画&芝居&ライブ・ときどき旅をメインに、日々の記録を積み重ねています。
自己分析
2007年05月07日 (月) | 編集 |
また1週間が始まってしまった。そして心臓バクバクも始まったのだった。うおー。
今週は金曜日が創立記念日でお休み。その日には久しぶりにカウンセリングの予約を入れてみた。最近考えた様々なことなど、プロに聴いてもらおうかな、と思って。

今日はほぼ一日、「なぜ私という人間は、甘えることに対して極度の警戒心をもってしまうのか?」ということについて自己分析を試みた。

遡ると幼少時代から、私は親に甘えることのできない子どもだった。
甘え上手な姉兄との差別化を自分なりに図ったのかもしれないが、おそらくは母親が私を甘えさせてくれなかったことが原因だと思われる。彼女は私に甘えることを望み、私はその期待に応えただけだ。母の甘えを許すことによってのみ、私は彼女からの愛情を得た。条件付きの愛情を。
私にとって他人に甘えることは、イコール「迷惑をかけること」だった。そして他人に迷惑をかけることは、イコール「見捨てられること」だった。
かくして私の深層心理には「他人に甘えたらいつか見捨てられるにちがいない」というすり込みが行われたのである。
甘えられない子どもの完成だ。

そんな子どもらしくない子どもでも、本心では甘えたい。無条件で自分を受け容れて欲しい。しかし、家族にそれは望めない。そこで私は「友達」に<家族>を求めた。
中学・高校時代、私にとって学校は<家族>だった。学校では先生や友達に甘えることができた。幸せだった。
でも心の奥底の「他人に甘えたらいつか見捨てられるにちがいない」という思いは、たまにひょっこりとアタマをもたげては、私に二の足を踏ませた。

大学時代、芝居仲間が私の<家族>だった。どんなに迷惑をかけても、どんなに甘えても、「大丈夫だよ」「そのまんまでいいんだよ」と無条件に受け容れてくれる仲間たちは、大切な<家族>だった。私はそんな仲間にさえ「こんなことしても許してくれる?」「ここまで迷惑をかけても嫌わないでくれる?」と相手を試すような行為を繰り返してきた。結果は「全てOK!」だった。たまらなく幸福だった。

就職して現在、未だに私の根底には「他人に甘えたらいつか見捨てられるにちがいない」感はどっかりと根付いている。そして、例の相手を試す行為も繰り返してしまっている。でも仲間たちはこんな七面倒くさい私に繰り返し「大丈夫だよ」「悩んじゃダメですよ」「私で良ければ話くらい聞きますよ」と言ってくれる。笑顔でいつも許してくれる。その度に私はたまらない幸福感(=自己受容感)に襲われ、と同時にそれを失うことの不安に苛まれるのだ。

…と、ここまで自己分析をしてきて分かったこと。
もういい加減<家族>である仲間を信頼していいんじゃないか、ということ。彼らは私を見捨てることなどないのだと、自分に言い聞かせていいんじゃないかと。それだけの実績があるのだから。
そして、相手を試すようなわざと嫌われるような行為は、もうやめていいんじゃないか。そんなことしなくたって、彼らは私を嫌わない。
俗に言う「家族」から愛されることはなかったけど、私はもう新しい<家族>をみつけつつある。その幸せを、そろそろ享受してもいいんじゃないかい?
私はこれまで十分苦しんできた。今度は自分で幸せを実感する番だ。

合計B5用紙4枚分に及んだ自己分析であったが、それなりの成果があったように思う。
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