不定期更新のつもりが毎日更新。着物と猫と料理と映画&芝居をメインに、日々の記録を積み重ねています。
噛み壊す。
2016年05月27日 (金) | 編集 |
ずっと誰かの一番になりたくて、誰かに大切にされたくて、誰かに愛されたくて、生きてきた。
誰かが私を認めてくれなければ、私のような人間は存在する価値はないから。
認めて貰いたくて必死だった。存在する為に必死だった。
努力して我慢して、好かれるように嫌われないように、せめて不快に思われないように…。
居てもよい、と思われるように。
私が生きていても良い、と思われるように。
「この人に」ではない。「誰かに」。
不特定多数の「誰かに」向けて発信するこの想いは、「誰もに」と同じことだ。
すべての人に、好かれるように嫌われないように、せめて不快に思われないように。
理屈では分かっている。そんなことは不可能だ。
だが、徹底した自己否定から始まっている私の認知は、理屈でははかれない。
自己の存在意義を他者に求める限り、私はいつまでたっても努力して我慢して自分をぞんざいに扱ってでも他人の顔色をうかがって生きていくしかない。

そのくせ、
好意をよせられたり、心配されたり、褒められたりすると、不安になる。
その裏に打算や利益や不誠実さがあると、「ああ、だからか」と安心する。
なんの裏もない好意や心配が、理解できないのだ。
「そんなはずがない」「私を本気で好きになったり心配したりするわけがない」
「私が我慢したり努力したりしなくても認めてくれるなんて、ありえない」
懐疑心でいっぱいになる。私は他人を信じていない。
つまり、愛されたくてたまらないくせに、愛されることを受け入れられない。
私は何よりも、誰よりも、自分を信じていない。

たぶん、私を一番に大切に愛してくれるのは自分以外にはありえない。
そういうことなんだろう。
そして、私が私を愛することはこの先あるんだろうか。
苦しくて寂しくて辛くてたまらないくせに、自らを傷つけて血を流すような、
ノイローゼの犬や猫のように自らの体毛を噛み壊すような、感覚。
めんどうくさい。終わりにしてしまいたい。

昨日の疲労がきっかけなのか、こんな考えがグルグル渦巻いて、今日は仕事を休んでしまった。
暴食して、精神を鈍麻させて、寝ます。
コメント欄、バナーともにクローズします。

自分のエゴを満たす為に、何もさせずに全てを先回りして、いつまでも可愛い可愛いお人形でいさせたいならどーぞご自由に。
ただそれを「愛情」だなんて、口が裂けても言わないで欲しい。
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