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いつの間にやら毎日更新。着物と猫と料理と映画&芝居&ライブ・ときどき旅をメインに、日々の記録を積み重ねています。
大人についての一考察
2007年11月28日 (水) | 編集 |
私は教育者であろうか。
真の意味で教育者たりうる人間であろうか。
教師として、人生の先輩として、生徒や後輩たちに道を示すことができているだろうか。
…そんなことを考えた。

批判じゃなく、批評じゃなく、侮蔑じゃなく、非難じゃなく、見下すのでなく、偉ぶるのでなく、ただその人のことを考え、ひたすらにその人がより良くなるよう、教え諭すことができているだろうか。
その人の成長の手助けをするような、その人の向上をサポートするような、そんな言動をとることができているだろうか。

否。
私はまだ教育者としての姿勢に達していない。
未熟な私は、自分の未熟さにおぼれ、相手を思いやる態度に欠けている。

何がその人のためになるのか、どうすることでその人が向上するのか、それを瞬時に判断し行動に移すことができるのが「教育者」であると思う。
回り道であっても、時間や手間がかかっても、その人の向上のために待つことができるのが「教育者」であると思う。
俯瞰の視点で全容をとらえ、最善の道を選択できるのが「教育者」であると思う。

私はそんな「教育者」になりたい。
というより、教師という職業を選んだ以上、そうあらねばならないと思う。
いや例え教師にならなかったとしても、人生の後輩を前にした時に人は誰でも「教育者」であらねばならないと私は思う。

言い換えれば、私の言う「教育者」とは「大人」と言えるのかもしれない。
年齢を重ねただけのオトナではなく、人生の先輩としての「大人」。
甘えや依存を脱ぎ捨てて、きっちりと自律している存在。
自分ばかりではなく周囲を見渡す余裕を持っている存在。
それが、私の憧れる「大人」像。

ただ長く生きているだけでは、「大人(=教育者)」にはなれない。
まずは意識し、行動することだ。
未熟であると認めた時から、成熟への第一歩が始まる。
私は今日のこの思考を書き留めることで、自らの未熟さを認め、「大人」への第一歩を踏み出そうと思う。『相手のことを考えているか』という視点を常に持てるようにしたい。

↑なんてことを、今日は思考した。
昨日といい、今日といい、こういった哲学的思考に走る傾向がみられる。鬱状態の時と思考形態は似ているのだが、前向きな結論に落ち着くところが以前の自分とは大きく異なる。いい感じだ。
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コメント
この記事へのコメント
No title
「私は『結果』だけを求めてはいない。『結果』だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ…近道した時、真実を見失うかもしれない。やる気も次第に失せていく。大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている。向かおうとする“意志さえあれば”いつかはたどり着くだろう?向かっているわけだからな…違うかい?」



ワタクシの大好きな 漫 画 の中の台詞です(;・∀・)

ワタクシにとっての「そこ」がどこなのか、それすらも分からないまま足掻いたりもがいたりしてるわけですが、それでも「そこ」へ向かおうとする意志だけは持ちつづけていたいと思っています。
2007/11/29(木) 01:33:00 | URL | にら #79D/WHSg[ 編集]
No title
結果が全てだという風潮は、あまり好きではありません。行き着くまでの過程が大切なんじゃないかと思います。

結果なんてもんは、あとからついてくるもんです。

もちろん、良い結果を出せるように努力する気持ちを否定はしませんが。

にらちゃんの「そこ」へ向かおうという意志は、きっと輝きをもっていると思います。
2007/11/29(木) 20:00:00 | URL | みやぢ #79D/WHSg[ 編集]
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