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愛されることについての一考察
2008年01月28日 (月) | 編集 |
私はこれまで全てを自分のせいにしてきた。自分を責めて責めて責めつづけて、鬱病になった。それは自分を責める方が楽だったから。それに慣れていたから。

カウンセリングで私は自分の鬱の根幹に家族があることに気づいた。そして母親を責めた。母親を責めることで、自分を責めずにいられるようになった。これはある程度、上手く移行できたと思う。そして母親と姉と距離をおくことで、自分の心の平穏を保とうとしてきた。これも、ある程度成功したといえよう。

だけど、なんか、違う気がしてきた。現在の私に過去は変えられない。でも過去に対する私の受け止め方を変えることは、現在の私にもできる。
私は「いつか母さんを許せる時がきたら…」と思っていた。けど、「許す」必要なんて、そもそもないんじゃないか。彼女は彼女なりに、当時の私を愛してくれていたんだろう。私の望む理想の愛ではなかったにしろ、未熟な母親として私を愛してくれていたんじゃないのか。だったら、それを責めるのはスジが違う。

吟味された言葉は、吟味された心でないと受けとめることができない。
母さんからの年賀状の返事を何度も読み返して涙しているのは、そこに愛を感じているからではないのか。

私が私を責めずにすむためには、他に責める対象が必要だった。だから母さんを責めた。それは第一段階で、ものごとには更に次の段階がある。
第二段階はきっと、誰も責めないこと。母さんも、もちろん私自身も。
全てのことはそれが必要だったからそうあったのであって、ただそうあったということを受けとめてやればいいだけのこと。
…なんか、そんな気がした。
うーん、まだスッキリとはしていないけど、この考え方は間違っていない気がする。

なんか、これが腑に落ちたら、私はもう一段階上の楽な気分になれそうな気がする。
愛されている自分。愛されてきた自分。
私の理想とする愛でなくても、愛を注いでくれた人たち。
その人たちに対する感謝。
それは母さんも含めて。

新しい考え方だ。これを私は受け入れられるだろうか?
いや、焦らずに。まずは、愛されてきたことを認めよう。私はこれまで沢山の人たちに愛されてきた。そして現在も沢山の人たちに愛されている。
愛されるのは怖いことじゃない。
恐れることはない。
怖がらないで!

そうだ。私はずっと怖かったんだ。愛されることが。愛されていると認めることが。それはいつか必ず失うものだと思っていたから。失った時の孤独感を恐れて、愛されることにおびえた。
おびえなくていいんだよ。
あなたを愛している人たちは、あなたから何の見返りも求めていない。あなたが存在するだけで、喜んでくれる。

この考えを自分に向けてみたら。
私は私を愛してあげていい。
たとえ他の誰が愛さなくても、私は私を愛していい。
そして私は私から一生離れることはない。つまり一生私は私を愛し続けることができる。
私が私を愛したところで、誰も私を嫌わない。
あー…。涙が出そうに幸せだ。

この考えは間違っていないと、私の感覚が告げている。この考えは正しい。だからこれを信じて良い。
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コメント
この記事へのコメント
No title
私は…みやぢさんが好き。へへへ。愛され慣れてないというのは私も同じなんで、よく分かります。私は一人が大好きなんです!って周りには言いふらかしてますが…。まぁ、これは今までそういう人生を送ってきたんだから仕方ないかな、と。人とは全然違うけど、それはそれで仕方ないかな、と。最近思うのですが…。
2008/01/29(火) 21:56:00 | URL | きなこ #79D/WHSg[ 編集]
No title
ありがとう。私もきなこさん好きよ。うへへへ。相思相愛だねっ!

うん。まずは「自分はこういう人間なんだぁ!」って認めてあげることから始めないとね。過去も含めて、現在の自分をまずは自分が受けとめてあげること。これがなかなかできないでいたんだよなぁ~。じゃあ、今はできているかというと、ようやく受けとめようという気構えができたって具合で、いやはやなんとも。

生きていくのは難しいね。だけど生かされている限りは、この難しい人生を生きていこうと思っています。この人生の主人公は、他の誰でもない自分だから。
2008/01/29(火) 22:21:00 | URL | みやぢ #79D/WHSg[ 編集]
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