2019年12月05日 (木) | 編集 |
今年の高2は、授業をしていて楽しくて仕方ない。
いつも高校生を教える時は、なにがしかの「アウェー感」(私は中学所属の教員なので)を味わいつつ、中学生を教える時よりも緊張してストレスがかかるのだが、今年は気楽な気持ちで授業ができる。これは、初めての感覚である。
たとえば、梶井基次郎「檸檬」。
去年の今頃も高2現代文で梶井基次郎の「檸檬」をやっていた。
今年も高2現代文を担当しているので、やはり「檸檬」の時期なのである。
さて、今年はどんなふうに授業を作って行こうか…と考えて、まっさらな状態から予習を開始する。
改めて本文を読み、今の自分が何を感じたのかを書き連ね、では何を生徒たちに伝えたいかをまとめる。
ここで去年のノートを取り出して見てみると、なるほど、去年の授業とほぼ同じ進め方でやるのが良さそうだ。
まずは各自で黙読し、初読の感想を簡単に書かせて提出させる。
それを授業で読み上げて…おそらく「難しい」「理解できない」「共感できない」という感想がほとんどだろうから、それを取っ掛かりにして読解に入る。
ま、去年と同じ導入だけど、これで行こう。
そう思って最初の授業をやった。黙読させ、初読の感想を提出させ、読み上げる。
すると…あららら? なんだか、去年の高2とは様子が違うのだ。
「難しかったけど、表現が美しいと思った」
「檸檬は、主人公にとって〝理想〟を表しているのではないか」
「○◯◯という描写が秀逸だった」
「何を言いたいのか分からないから、もっとちゃんと読みたい」
「オチがないのが気に入った」
「訳わからんけど、共感できる部分もあった」
去年の生徒は「分からない」で終わらせていたものを、今年の生徒たちは「分かろう」としているのだ。
難解な文章に、近づこうという姿勢が見られるのだ。
…これが、国語教師的にものすごく嬉しかった。
今年の高2は、中学時代の3年間 当該学年の教員として授業をしてきた学年である。
その中で私が彼らにずっと伝えたかったのが、「他人事として読まないでほしい」ということ。
「共感できないから、つまらない」「これは自分には関係ない話」として放り出すのではなく、文学と対峙して「自分だったら」「自分の意見としては」「この部分は自分にもある」という風に、「我がゴト」として自分に引き寄せて考えてほしい。
文章を読むということは、自分以外の人生を擬似体験することだと思うから。
…もしかしたら、中学3年間言い続けてきたことが今の彼らの中にしっかり根付いてくれたんじゃなかろうか…。
たまらなく、嬉しく思った。
中には「夢ならばどれほど良かったでしょう…」と米津玄師「Lemon」の歌詞をそのまま書いているヤツもいて、オイオイそっちじゃねーよ、と笑いつつも、「いや、でも米津玄師の感覚に近いところも文章表現にあるから、その辺も付け加えながら授業するねー」と生徒たちに告げた。
歌詞を書いた生徒がふざけて書いたのか、ワザと書いて私の反応を見たかったのかは知らんが、私も梶井基次郎の「檸檬」を読んだ時に米津玄師が頭に浮かんだから、それはそれで尊重したかった。何より、自分が喋りたかった(笑)。
その後「檸檬」の授業は、基本的には去年と同じ進行をしつつも、米津玄師ネタを織り交ぜたり 彼らの日常生活に即して例示をしたりして、先日無事に終えることができた。
授業のシメとして、去年と同様に「自分なりにこの物語を読み説き、解釈してみよう」という課題を出したのが、先週水曜のこと。
その提出締め切りが今週末なのだが、時間割変更の関係で今週末まで10日間も一切授業ができなくなってしまった。
そうしたら、今日 教科リーダー(その教科の連絡など、サポートをする係)が研究室まで来て、こう言った。
教科リーダー:「先生、今週末まで授業ないけど、『檸檬』の課題を書く時間って授業中にいただけますか?」
私:「いやー、ちょっと無理だなー。今週末の2時間で評論文1つ終わらさないといかんから」
教科リーダー:「ですよね。じゃあ、クラスには各自で時間をみつけて書いておくように言っておきます」
私:「ああ、そうしてちょうだい。助かるよ」
教科リーダー:「2時間で評論、大丈夫ですか?」
私:「うーん、なんとか終わらせられるように、今 考え中だから(笑)」
教科リーダー:「はい、楽しみにしています!」
…なんかね、この会話がすごく嬉しかった。
まず、教科リーダーが自主的に考え、クラスに連絡をしようとしてくれたこと。
そのために、わざわざ研究室まで来て、確認をとってくれたこと。
そして、授業を「楽しみにしています」と言ってくれたこと…。
授業を楽しみにしている、なんて言われたの 初めてじゃないかな。有難いこっちゃ。
これはねー、私の授業自体がどうこういう問題じゃなくて、ひとえに今の高2連中の人柄だと思う。
お互いに信頼関係ができていること、そして彼らが何事も「楽しむ」という気概を持っているということ。
いい学年に成長してくれたなー、と思うよ。ホント。稀有な学年だと思う。
今年、この学年の授業をまた受け持つことができて、ラッキーだったな…と改めて思った。
以上、ちょっとした自慢話でした。
仕事はシンドイけども、たまにこういうことがあるから続けられる。
今日は出張だったので、着物は着なかった~。
さあ、あと2日で今年の授業は全て終わりだ-。もうひとふんばりー。
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いつも高校生を教える時は、なにがしかの「アウェー感」(私は中学所属の教員なので)を味わいつつ、中学生を教える時よりも緊張してストレスがかかるのだが、今年は気楽な気持ちで授業ができる。これは、初めての感覚である。
たとえば、梶井基次郎「檸檬」。
去年の今頃も高2現代文で梶井基次郎の「檸檬」をやっていた。
今年も高2現代文を担当しているので、やはり「檸檬」の時期なのである。
さて、今年はどんなふうに授業を作って行こうか…と考えて、まっさらな状態から予習を開始する。
改めて本文を読み、今の自分が何を感じたのかを書き連ね、では何を生徒たちに伝えたいかをまとめる。
ここで去年のノートを取り出して見てみると、なるほど、去年の授業とほぼ同じ進め方でやるのが良さそうだ。
まずは各自で黙読し、初読の感想を簡単に書かせて提出させる。
それを授業で読み上げて…おそらく「難しい」「理解できない」「共感できない」という感想がほとんどだろうから、それを取っ掛かりにして読解に入る。
ま、去年と同じ導入だけど、これで行こう。
そう思って最初の授業をやった。黙読させ、初読の感想を提出させ、読み上げる。
すると…あららら? なんだか、去年の高2とは様子が違うのだ。
「難しかったけど、表現が美しいと思った」
「檸檬は、主人公にとって〝理想〟を表しているのではないか」
「○◯◯という描写が秀逸だった」
「何を言いたいのか分からないから、もっとちゃんと読みたい」
「オチがないのが気に入った」
「訳わからんけど、共感できる部分もあった」
去年の生徒は「分からない」で終わらせていたものを、今年の生徒たちは「分かろう」としているのだ。
難解な文章に、近づこうという姿勢が見られるのだ。
…これが、国語教師的にものすごく嬉しかった。
今年の高2は、中学時代の3年間 当該学年の教員として授業をしてきた学年である。
その中で私が彼らにずっと伝えたかったのが、「他人事として読まないでほしい」ということ。
「共感できないから、つまらない」「これは自分には関係ない話」として放り出すのではなく、文学と対峙して「自分だったら」「自分の意見としては」「この部分は自分にもある」という風に、「我がゴト」として自分に引き寄せて考えてほしい。
文章を読むということは、自分以外の人生を擬似体験することだと思うから。
…もしかしたら、中学3年間言い続けてきたことが今の彼らの中にしっかり根付いてくれたんじゃなかろうか…。
たまらなく、嬉しく思った。
中には「夢ならばどれほど良かったでしょう…」と米津玄師「Lemon」の歌詞をそのまま書いているヤツもいて、オイオイそっちじゃねーよ、と笑いつつも、「いや、でも米津玄師の感覚に近いところも文章表現にあるから、その辺も付け加えながら授業するねー」と生徒たちに告げた。
歌詞を書いた生徒がふざけて書いたのか、ワザと書いて私の反応を見たかったのかは知らんが、私も梶井基次郎の「檸檬」を読んだ時に米津玄師が頭に浮かんだから、それはそれで尊重したかった。何より、自分が喋りたかった(笑)。
その後「檸檬」の授業は、基本的には去年と同じ進行をしつつも、米津玄師ネタを織り交ぜたり 彼らの日常生活に即して例示をしたりして、先日無事に終えることができた。
授業のシメとして、去年と同様に「自分なりにこの物語を読み説き、解釈してみよう」という課題を出したのが、先週水曜のこと。
その提出締め切りが今週末なのだが、時間割変更の関係で今週末まで10日間も一切授業ができなくなってしまった。
そうしたら、今日 教科リーダー(その教科の連絡など、サポートをする係)が研究室まで来て、こう言った。
教科リーダー:「先生、今週末まで授業ないけど、『檸檬』の課題を書く時間って授業中にいただけますか?」
私:「いやー、ちょっと無理だなー。今週末の2時間で評論文1つ終わらさないといかんから」
教科リーダー:「ですよね。じゃあ、クラスには各自で時間をみつけて書いておくように言っておきます」
私:「ああ、そうしてちょうだい。助かるよ」
教科リーダー:「2時間で評論、大丈夫ですか?」
私:「うーん、なんとか終わらせられるように、今 考え中だから(笑)」
教科リーダー:「はい、楽しみにしています!」
…なんかね、この会話がすごく嬉しかった。
まず、教科リーダーが自主的に考え、クラスに連絡をしようとしてくれたこと。
そのために、わざわざ研究室まで来て、確認をとってくれたこと。
そして、授業を「楽しみにしています」と言ってくれたこと…。
授業を楽しみにしている、なんて言われたの 初めてじゃないかな。有難いこっちゃ。
これはねー、私の授業自体がどうこういう問題じゃなくて、ひとえに今の高2連中の人柄だと思う。
お互いに信頼関係ができていること、そして彼らが何事も「楽しむ」という気概を持っているということ。
いい学年に成長してくれたなー、と思うよ。ホント。稀有な学年だと思う。
今年、この学年の授業をまた受け持つことができて、ラッキーだったな…と改めて思った。
以上、ちょっとした自慢話でした。
仕事はシンドイけども、たまにこういうことがあるから続けられる。
今日は出張だったので、着物は着なかった~。
さあ、あと2日で今年の授業は全て終わりだ-。もうひとふんばりー。
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この記事へのコメント
現国?実りや成長を直接目にしたり実感する機会は無い職業かもしれませんね。
中学三年間を指導し、高校二年生の授業でもう一度会えた。成長を見せることができた生徒の嬉しさと先生の幸せ感が良いですね〜
米津さんも時々出てくる授業😊 良いな〜
中学三年間を指導し、高校二年生の授業でもう一度会えた。成長を見せることができた生徒の嬉しさと先生の幸せ感が良いですね〜
米津さんも時々出てくる授業😊 良いな〜
2019/12/05(木) 22:41:55 | URL | 三匹のはは #-[ 編集]
今回かなり長文のコメントだったのですが、禁止ワードありとはじかれました😅
え〜何が?と…ドンドン削って、なんとそのワードは
きょうし という漢字 でしたよ〜 なんで〜⁇
え〜何が?と…ドンドン削って、なんとそのワードは
きょうし という漢字 でしたよ〜 なんで〜⁇
2019/12/05(木) 22:45:52 | URL | 三匹のはは #-[ 編集]
有り難うございます。
ここ数年、高校の授業を1クラスだけ受け持つというのが続いておりまして、正直キツイのでありますが…扱う教材の面白さは高校の方が強いかもしれませんね。
米津さんネタは去年から「檸檬」授業に組み入れたかったのですが、去年の高2はそんな雰囲気ではなかったので(笑)できませんでした。今年は好き勝手やらせてもらってます。
ここ数年、高校の授業を1クラスだけ受け持つというのが続いておりまして、正直キツイのでありますが…扱う教材の面白さは高校の方が強いかもしれませんね。
米津さんネタは去年から「檸檬」授業に組み入れたかったのですが、去年の高2はそんな雰囲気ではなかったので(笑)できませんでした。今年は好き勝手やらせてもらってます。
2019/12/06(金) 19:39:14 | URL | べにお #-[ 編集]
それはそれは、ご面倒をおかけしました。
実はだいぶ前のことですが、コメント欄にその言葉を頻繁に使う「荒し」の方がいらっしゃいまして、あまりにもしつこかったので禁止ワードにしたという事情でございます。
おそれいりますが、別の表現でご表記いただければ有難いです。
実はだいぶ前のことですが、コメント欄にその言葉を頻繁に使う「荒し」の方がいらっしゃいまして、あまりにもしつこかったので禁止ワードにしたという事情でございます。
おそれいりますが、別の表現でご表記いただければ有難いです。
2019/12/06(金) 19:44:01 | URL | べにお #-[ 編集]
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