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いつの間にやら毎日更新。着物と猫と料理と映画&芝居&ライブ・ときどき旅をメインに、日々の記録を積み重ねています。
褒め慣れ、褒められ慣れ。
2019年12月08日 (日) | 編集 |
昨日の「しゃべるじじい」(歌い手島爺さんの生ラジオ)で、もっとお互い褒めよう!という話があって。
それで思い出したのだが、「褒める」「褒められる」ってことには慣れが必要だなってこと。

普通の方々がどうなのかはワカランが、私はホントに褒められることが苦手だった。
苦手、というか、あまりに褒められ慣れていなくて戸惑ってばかりだった。
ひねくれた人間なもんで、褒められると「なにか裏があるんじゃないか?」「どんな意図があって…?」と勘ぐってしまう。
そもそもが自分というモノに自信がなさ過ぎて、褒めてくれること自体が信じられないのだ。
なんの取り柄もない私ごときを褒めるなんて、あり得ない! なにかの間違いだ!
ということは、その裏になにかあるに違いない。「褒め」の代償に、何を求めているんだろう?
こんな思考を一瞬のうちにして、相手の顔色を見て「私に何を期待しているのか?」を探ろうとする。
当然、褒められた時に返す言葉は
「いえいえ、そんな大したもんじゃ…」「またまたー、ご冗談を」「でもこれ、安物なんですよ」などなど、
謙遜どころか自分を貶める卑屈なものばかり。
そして、そう返した時の、褒めてくれた相手のちょっと怪訝そうな顔。
あ、期待に応えられなかったという「しくじった感」。
なので、どちらかというと褒められるのが嫌いだった。
面倒臭いし、相手の顔色をみなきゃいけないし、それで毎回失敗するし。

それが、着物を好きになったことで少しずつ変わっていった。
なんたって、着物を着ていると、それだけでやたらと褒められるのだ。
通りすがりの同僚が、女性だけでなく男性までも褒めてくれる。
中学生や高校生の、生徒まで褒めてくれる。
へたすると、外出先で見知らぬ老婦人から「いいわね~着物。私も若い頃は…」なんて褒められたりする。
頻繁に褒められると、少しずつ慣れてくる。
何より、いちいち謙遜して、相手の顔色を見て、というのが面倒臭くなる(笑)。
それで「ありがとうございます」の一言で打ち切る、という対応になった。
ぞんざいで申し訳ない、と思いつつ。
ところがところが、その対応だと褒めてくれた相手は怪訝な顔をしない。
それどころか、にっこり微笑んでくれたりする。さらに褒めてくれたりする。
あーーー、これが正解だったのか!
そして気づいた。褒められて謙遜したり卑下したりするのは、相手の気持ちを否定することだったんだ、と。

そしてもう一つ、褒めるのも慣れが必要だってこと。
これに関しては、以前習っていた茶道が大きな転機だった。
先輩教員から紹介されて、お茶に興味をもち、それから個人の教室に週イチくらいのペースで10年間通った。
先生は竹を割ったようなサッパリとした性格で、度量も大きくカッコイイ憧れの存在だった。
毎回ちゃんと着物を着て、素敵な道具を扱わせてくださった。
時に、趣向を変えて、さまざまなお点前を教えてくださった。
目にするモノすべてが興味深く、もっと知りたい、もっと教えて欲しい、と思って先生に話しかける時…言葉が出てこないのだ。
なんてキレイなんだろう、なんて素敵なんだろう、とドキドキワクワクしてポーッと上気しているというのに、それを表す言葉が出てこない。
褒めたいのだ、でも褒め慣れていないから褒める言葉が出てこないのだ。
これには愕然とした。日々、言葉を扱う国語教師という職についているというのに、なんという為体(ていたらく)。
それでも褒めたい気持ちはあるから、稚拙ながら「キレイです」「素敵です」「可愛いです」くらいから口にすることにした。
すると先生は「ありがとう。この器はね…」と詳しく教えて下さった。それで、少しずつ語彙が増えていった。
また、たまに先輩のお弟子さんと同席することもあり、そうすると先輩がどんな言葉で褒めているのかに注目したりした。
そうやって、少しずつ褒める言葉というものを覚えていき、バリエーションが増えると褒めることが楽しくなった。
それに、褒めたい気持ちを口に出すのはスッキリするし、「ありがとう」と返されると更に嬉しくなる。
あーーー、褒めるってこんなに気持ちイイことだったんだ!
たとえ稚拙な言葉でも、気持ちを言葉にして相手に伝え、相手から返ってくるというのは素敵な循環だ。

今の私は、褒めることに全く抵抗がない。逆に、なんか褒めるとこないかなーと常に探したりしている。
「大きい声で読んでくれたね、ありがと-!」
「さえてるね、それよそれ」
「お、髪切った? 可愛いじゃん」
「君は面白いオトコだなー」
「今日の日直、良い仕事してるね。黒板がキレイで気持ちいいや」
「さすが委員長、言うことが違う」…などなど。
例外なく、褒められた生徒は照れくさげに嬉しそうな顔をする。その顔を見て、私も嬉しくなる。
今の私は、褒められても戸惑わない。「ありがとう、この着物はね…」とかつてのお茶の先生のように返すこともできる。
そうすると、褒めてくれた相手も嬉しそうな顔をする。その顔を見て、私も嬉しくなる。
そう、私は自分が嬉しくなるために褒めているし、褒められて「ありがとう」と返している。
自分のためにやっているだけなのに、相手も嬉しくなっているって…これってとんでもなく素敵なことなんじゃないか。

だからねー、今回のじぃちゃんの提案「お互いがお互いを褒めまくるのが流行ってくれんかなー?」には、大きく首肯したのですわ。
やってみ、気持ちイイから。マイナスなこと、一切ないから。
慣れなんだよなー、ほんと。みんなで慣れましょ♪ 褒めることも、褒められることも。

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コメント
この記事へのコメント
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2019/12/09(月) 13:55:23 | | #[ 編集]
内緒さん
いらっしゃいませ! コメントどうも有難うございます。
こんなにゆるゆるな拙ブログをお楽しみいただけているようで、とても嬉しいです。あざまっす!
ひとまず、褒められたら「ありがとう」。何も考えずに「ありがとう」。条件反射で「ありがとう」。これっすよ。
ありがとうも何回も口にしていると、慣れて自然に出てくるようになりますから。そして、ありがとうを口に出すと、間違いなくプラスの方向にいきますから! ぜひお試しを〜v-345
2019/12/10(火) 05:14:16 | URL | べにお #-[ 編集]
褒められ慣れていない人は、目標が高いかも
はじめまして。
私は親から姉妹差別され、自己肯定感低めなうえ、家で褒められない欲求を満たすために学校や職場、友達から褒められるよう努力しました。
親から嫌味や暴言を吐かれた割に、第三者のおかげで承認欲求は満たされ、「褒められる、褒める」のは素直に受け取れます。

ですが、頑張っても私は親から更に上を目指すようほのめかされ、「私の道は私が決める。親の虚栄心を満たす道具じゃない」心の底から思いました。
私は幼少期から親を褒め、あたかもピエロみたいでした。自分を守るため、心とは裏腹に他人を褒める人もいます。他人から褒められたがる人は、愛着障害で人に依存する傾向があるかも。私は克服したので、憑依されると重いから距離を置きます。

親にされた不愉快な出来事は、ストレスが溜まると必ず近い人に攻撃しますよ。
例えば、親から嫌味を言われたら、近い人に同様の嫌味を言ってしまい、縁を切られたり。
小さい頃の嫌な記憶を再現してしまうのに、自覚していない方がいます。

人への依存や愛着障害を克服してから、10年もの間カウンセリング や脳みそクリニックに受診しておらず、うつ病が完治したようです。
子供の頃から10年前まで爪噛みがやめられず、人前では指を見せられなかったのに、爪噛みをやめました。加えて、ブログに自分を称賛する記事を書かなくなると、情緒安定につながり人に取りすがらなくなりました。

うつ病記事を読ませていただき、以前の私みたいで・・・長々とすみません。どうか自分に優しくお元気でご活躍下さい。かげながら応援しています。
2020/10/23(金) 00:53:31 | URL | わたあめ #-[ 編集]
わたあめさん
いらっしゃいませ、コメントどうも有難うございます。
たくさんの言葉を費やしてご助言いただき、ありがとうございました。愛着障害は、たしかにありますねー。爪噛みもやめられません。
…すみません、正直コメントが意図するところがイマイチ読み取れず、わたあめさんの本意がよくわかりませんでした。ご期待にそうコメント返しができていないと思いますが、またよろしければ拙ブログへお越し下さい。
2020/10/23(金) 21:07:08 | URL | べにお #-[ 編集]
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