2021年08月08日 (日) | 編集 |
昨日から、少々脳みその調子が良くない。
ふとしたことから、「あれ? 嫌われちゃったかな?」と頭をよぎった。
そうしたら、あの時のあれは…、そういえばあの時も…、あれも避けてたってことか…、ああもう嫌われたに違いない…、とどんどん思考がそっち方向へ雪崩れていき、絶望感に襲われた。
何がまずかったのだろう? あれか? いや、あっちか? あの言葉か? どれも不正解だったのだろうか?
好感をもたれていると思っていたけど、勘違いだったんだ。私なんかが好かれるわけがない。
以前に比べて笑ってくれなくなった気がする。やっぱり引かれちゃったんだ。
そもそも好意的に思えたあの言葉も、心の中では私を憐れんで仕方なく言っていたのかもしれない。
そうだ、そうだよ、私みたいなダメ人間が好かれるはずなんかないじゃないか。
私の本質がばれて、嫌われたんだよ。
もうこんな人生嫌だ、リセットしたい、終わらせたい…。
ここまで考えが至って涙が出てきたところで思った。
なんで私はいつもこういう思考をたどるのだろう?
①相手の態度や顔色から「本意」を探ろうとする。
②そもそも好かれるか嫌われるかということに非常に敏感である。
③相手の言葉は信用しない、本意は別のところにあると考える。
④一度否定的な考えに至ると、過去の全てをその検証に用いようとする。
⑤自分は好かれるような人間じゃないという妙な自信。
⑥好意的な言葉や態度も、裏があるに違いないと勘ぐる。
⑦どんな相手でも本当の私を知ったら、嫌って離れていくに違いないという自信。
⑧他人に好かれなければ、自分は存在する価値がないと考える。
すぐこういう思考に至るというのは、
1.そういう考え方をするのに慣れている。
2.そういう考え方をすることで何か利益を受けている。
ということだろうと思う。分析してみた。
<1.なぜそういう考え方をするのに慣れているのか?>
②そもそも好かれるか嫌われるかということに非常に敏感である。
⑧他人に好かれなければ、自分は存在する価値がないと考える。
…おそらく、母親との関係からだろう。
幼少期、母親に嫌われるということは「死」をも意味する。養われなければ存在できないのが子供だ。
さらに承認欲求というものもある。身近な愛着対象である母親に好かれたい・嫌われたくないと思うのは、自然な欲求だと思う。
それが、私と母親の関係においては常に不安定だった。姉や兄のような無条件の愛情を、私は受けられなかった。
だから私は、好かれたい・嫌われたくないという思いが強いのだと思う。
③相手の言葉は信用しない、本意は別のところにあると考える。
⑥好意的な言葉や態度も、裏があるに違いないと勘ぐる。
…思い出したのが、昔の母の対応である。
実家は歯科医院で、よく患者さんからものをいただいた。
母はにこやかに「どうもありがとうございます~」「あれ、とっても美味しかったです」「どうやって作ったんですか~?」などと対応していたが、裏でよくこう言っていた。「ああ言っておけば機嫌良くなるから」「ホントは邪魔になるからいらないんだけど」「ただ甘いだけで下品な味よね」…ああ、そうだ。これで私は「人の言葉には裏がある」と学んでしまったんだ。褒められても、好意的な言葉をかけられても、その裏では舌を出しているのが普通なんだ、と学習してしまったのだ。
だから、「本心は何を考えているのだろう?」と
①相手の態度や顔色から「本意」を探ろうとする。
…こういう行動につながっていったんだ。
<2.そういう考え方をすることで、どんな利益を受けているのか?>
自分は好かれていると考えるのは、危険だ。そうでなかった時のダメージが大きすぎる。
だから、自分の心を守るための「防衛策(保険)」として
⑤自分は好かれるような人間じゃないという妙な自信。
…こう考える。要はハードルを下げるのである。
もともと好かれるような人間じゃない自分が、もし好かれたら大ラッキーだ。嫌われたとしても、「やっぱりね」で済む。
浮かれてはいけない、甘えてはいけない、信じてはいけない。こう考えることで、大きいなダメージを回避できる…はず。
⑦どんな相手でも本当の私を知ったら、嫌って離れていくに違いないという自信。
…⑤と関連するのだが、相手が離れていった時の保険である。
④一度否定的な考えに至ると、過去の全てをその検証に用いようとする。
…「自分はダメ人間だ」と信じ込むことによって、私は私を守ってきた。その結果、その考え方に慣れてしまった。
だから慣れていない事態(好意的な対応をされる等)が起こると、懐疑的になるし「裏」を探って疲れてしまう。
「嫌われた」という事態の方がラクなのだ。これまでにも何度もたどってきた思考経路だから、どこか安心するのだ。
だが、ここで矛盾が生じる。
嫌われるのは慣れてるけど、嫌われたら私の存在価値はない。
嫌われるのには慣れているから安心するけど、嫌われるのは存在自体を否定されたようでつらく苦しい。
心が乖離する。脳みそが矛盾をはらんでショートする。
そうして、調子が悪くなる。涙が止まらなくなる。
いい加減、母親に縛られるのはやめにしなければ。
まず自分で自分を大事にしなきゃいけない。
わかってるんだけど、まだうまくいかない。
せめて、こうやって自己分析することで、まず自分をみつめるところから始めるくらいしかない。
薬を飲んで、眠剤も飲んで、落ち着こう。
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ふとしたことから、「あれ? 嫌われちゃったかな?」と頭をよぎった。
そうしたら、あの時のあれは…、そういえばあの時も…、あれも避けてたってことか…、ああもう嫌われたに違いない…、とどんどん思考がそっち方向へ雪崩れていき、絶望感に襲われた。
何がまずかったのだろう? あれか? いや、あっちか? あの言葉か? どれも不正解だったのだろうか?
好感をもたれていると思っていたけど、勘違いだったんだ。私なんかが好かれるわけがない。
以前に比べて笑ってくれなくなった気がする。やっぱり引かれちゃったんだ。
そもそも好意的に思えたあの言葉も、心の中では私を憐れんで仕方なく言っていたのかもしれない。
そうだ、そうだよ、私みたいなダメ人間が好かれるはずなんかないじゃないか。
私の本質がばれて、嫌われたんだよ。
もうこんな人生嫌だ、リセットしたい、終わらせたい…。
ここまで考えが至って涙が出てきたところで思った。
なんで私はいつもこういう思考をたどるのだろう?
①相手の態度や顔色から「本意」を探ろうとする。
②そもそも好かれるか嫌われるかということに非常に敏感である。
③相手の言葉は信用しない、本意は別のところにあると考える。
④一度否定的な考えに至ると、過去の全てをその検証に用いようとする。
⑤自分は好かれるような人間じゃないという妙な自信。
⑥好意的な言葉や態度も、裏があるに違いないと勘ぐる。
⑦どんな相手でも本当の私を知ったら、嫌って離れていくに違いないという自信。
⑧他人に好かれなければ、自分は存在する価値がないと考える。
すぐこういう思考に至るというのは、
1.そういう考え方をするのに慣れている。
2.そういう考え方をすることで何か利益を受けている。
ということだろうと思う。分析してみた。
<1.なぜそういう考え方をするのに慣れているのか?>
②そもそも好かれるか嫌われるかということに非常に敏感である。
⑧他人に好かれなければ、自分は存在する価値がないと考える。
…おそらく、母親との関係からだろう。
幼少期、母親に嫌われるということは「死」をも意味する。養われなければ存在できないのが子供だ。
さらに承認欲求というものもある。身近な愛着対象である母親に好かれたい・嫌われたくないと思うのは、自然な欲求だと思う。
それが、私と母親の関係においては常に不安定だった。姉や兄のような無条件の愛情を、私は受けられなかった。
だから私は、好かれたい・嫌われたくないという思いが強いのだと思う。
③相手の言葉は信用しない、本意は別のところにあると考える。
⑥好意的な言葉や態度も、裏があるに違いないと勘ぐる。
…思い出したのが、昔の母の対応である。
実家は歯科医院で、よく患者さんからものをいただいた。
母はにこやかに「どうもありがとうございます~」「あれ、とっても美味しかったです」「どうやって作ったんですか~?」などと対応していたが、裏でよくこう言っていた。「ああ言っておけば機嫌良くなるから」「ホントは邪魔になるからいらないんだけど」「ただ甘いだけで下品な味よね」…ああ、そうだ。これで私は「人の言葉には裏がある」と学んでしまったんだ。褒められても、好意的な言葉をかけられても、その裏では舌を出しているのが普通なんだ、と学習してしまったのだ。
だから、「本心は何を考えているのだろう?」と
①相手の態度や顔色から「本意」を探ろうとする。
…こういう行動につながっていったんだ。
<2.そういう考え方をすることで、どんな利益を受けているのか?>
自分は好かれていると考えるのは、危険だ。そうでなかった時のダメージが大きすぎる。
だから、自分の心を守るための「防衛策(保険)」として
⑤自分は好かれるような人間じゃないという妙な自信。
…こう考える。要はハードルを下げるのである。
もともと好かれるような人間じゃない自分が、もし好かれたら大ラッキーだ。嫌われたとしても、「やっぱりね」で済む。
浮かれてはいけない、甘えてはいけない、信じてはいけない。こう考えることで、大きいなダメージを回避できる…はず。
⑦どんな相手でも本当の私を知ったら、嫌って離れていくに違いないという自信。
…⑤と関連するのだが、相手が離れていった時の保険である。
④一度否定的な考えに至ると、過去の全てをその検証に用いようとする。
…「自分はダメ人間だ」と信じ込むことによって、私は私を守ってきた。その結果、その考え方に慣れてしまった。
だから慣れていない事態(好意的な対応をされる等)が起こると、懐疑的になるし「裏」を探って疲れてしまう。
「嫌われた」という事態の方がラクなのだ。これまでにも何度もたどってきた思考経路だから、どこか安心するのだ。
だが、ここで矛盾が生じる。
嫌われるのは慣れてるけど、嫌われたら私の存在価値はない。
嫌われるのには慣れているから安心するけど、嫌われるのは存在自体を否定されたようでつらく苦しい。
心が乖離する。脳みそが矛盾をはらんでショートする。
そうして、調子が悪くなる。涙が止まらなくなる。
いい加減、母親に縛られるのはやめにしなければ。
まず自分で自分を大事にしなきゃいけない。
わかってるんだけど、まだうまくいかない。
せめて、こうやって自己分析することで、まず自分をみつめるところから始めるくらいしかない。
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